代表作、『東海道五十三次』に象徴されるように、風景画を得意とした歌川広重。数多くの名作風景画を残し、その特徴的な「青」は「ヒロシゲブルー」と呼ばれ、海外でも高く評価されています。 広重は、江戸時代の寛政九(1797)年生まれ、本名を安藤重右衛門といいます。定火消同心の安藤源右衛門の子として生まれ、父の隠居後その跡を継ぎましたが、文化八(1811)年歌川豊広に入門。後に祖父の子に同心職を譲り、絵師に専心しました。 長い下積み時代を経て、天保四(1833)年頃に『東海道五十三次』を刊行し、一躍人気絵師の仲間入りを果たしました。ちょうどこの頃『東海道中膝栗毛』のヒットにより旅ブームがおきていたことも追い風になったと思われます。その後多くの街道もの、名所ものといった作品を発表していきました。広重の絵には、ユーモラスで生き生きとした人々が描かれ、当時の庶民の生活の様子を想像させます。 広重が生きていた時代はまもなく幕末という時期であり、天保八(1837)年には大坂で大塩平八郎の乱がおきていました。しかし広重の絵からはそのような雰囲気は感じられず、動乱の時代を迎えつつあるこの時期に、娯楽や旅に興じる庶民たちからはたくましささえ感じさせます。 当時の時代背景を想像しながら、広重の叙情的な風景画や花鳥図、美人画などを見ると、また違った世界が見えてくるかもしれません。
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